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福岡地方裁判所 昭和55年(ワ)184号 判決

原告

福岡タイ

原告

黒山ハナ子

原告

荒山フユ

右原告ら三名訴訟代理人

馬場眷介

井土音次郎

被告

福岡太郎

右訴訟代理人

松村昭一

主文

被告は原告福岡タイに対し、別紙第一目録ないし第三目録記載の各土地に関する各目録末尾記載の所有権移転登記、及び、別紙第四目録記載の建物に関する同目録末尾記載の所有権保存登記につき、いずれも、同原告の持分九分の三、訴外亡福岡次郎の持分九分の一、被告の持分九分の五とする所有権移転登記及び所有権保存登記にそれぞれ更正登記手続をせよ。

原告福岡タイのその余の請求及び原告黒山ハナ子、同荒山フユの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用中、原告福岡タイと被告の間に生じた分は被告の負担、原告黒山ハナ子、同荒山フユと被告の間に生じた分は同原告らの負担とする。

事実《省略》

理由

原告タイが亡福岡永の妻であり、同原告と福岡永との間に、長女訴外城山ユキ、二女同實山ツキ、長男被告、三女原告黒山ハナ子、四女亡福岡アキ(但し、昭和四年一月三日死亡)、五女原告荒山フユ、二男訴外福岡次郎の七人の子があつたこと、福岡永が昭和三二年一月一七日死亡したこと、福岡永の死亡による相続開始当時、その相続人が妻である原告タイ、並びに、四女アキを除く被告及び原告黒山ハナ子、同荒山フユを含む六人の子であつたこと、被相続人福岡永が、死亡当時、別紙第一目録ないし第三目録記載の各土地、同第四目録記載の建物その他の遺産を所有していたこと、そのうち、別紙第一目録記載の各土地につき昭和三九年五月二七日、同第二、第三目録記載の各土地につき昭和四五年四月二七日、それぞれ各目録末尾記載のいずれも被告のための相続を原因とする所有権移転登記がなされており、別紙第四目録記載の建物につき、昭和三九年五月二七日同目録末尾記載の被告のための所有権保存登記がなされていること、以上の事実は当事者間に争いがない。

右争いのない事実によれば、別紙第一目録ないし第三目録記載の土地及び同第四目録記載の建物は亡福岡永の相続財産であり、その相続人が原被告ら妻子七人というのであるから、昭和五五年法律第五一号附則二条による改正前の民法九〇〇条により、右土地建物につき、妻である原告タイが三分の一、被告及び原告黒山ハナ子、同荒山フユを含む前記六人の子がそれぞれ九分の一ずつの相続による各持分権があるところ、被告は、原告らを含む他の相続人らから、被告の単独所有名義に登記するに必要な「相続分なきことの証明書」を交付されて、それぞれの持分権の贈与をうけたものであり、右各「相続分なきことの証明書」により、前記昭和三九年五月二七日と昭和四五年四月二七日の各登記手続をした旨主張し、原告らは、右「相続分なきことの証明書」の交付や贈与の事実を否認する。

そこで、以下、まず、この点について判断するに、〈証拠〉を総合すると、次のように認めることができる。

すなわち、昭和三二年一月一七日福岡永の死亡当時、同人方は長女城山ユキ、二女實山ツキ、三女原告黒山ハナ子が既に婚姻して家を出ており、原告タイの継母福岡ツギ(原告タイの実父福岡元吉の後妻、明治一四年七月九日生)と同原告、及び長男である被告夫婦とその子供ら、更に、未婚の五女原告荒山フユ、二男福岡次郎の家族構成であつたこと、亡福岡永は、生前、二男福岡次郎と共に農業をし、原告タイや被告の妻らがそれを手伝つており、被告は、農協連合会に勤務し、農繁期に家業の農業を手伝い、原告荒山フユは、洋裁学校を出て洋裁をしていたこと、福岡永の死亡数ケ月後の昭和三二年四、五月頃、被告方に、長女城山ユキ、二女の夫訴外實山義男、三女の夫同黒山実、被告の妻の実父同松川敏雄、福岡ツギの甥同城山某ら親戚一同が集まつたことがあり、その際、長男である被告に遺産を相続させる話合いが大勢を占めたこと、もつとも、二男福岡次郎は、当時家出をしていて右話合いには加わつておらず、その後、福岡市内の商店に住込み中横領事件を起し、昭和三二年八月三日未婚のまま死亡したこと、被告は、右話合い後、亡福岡永の相続財産を被告名義に登記することを企図し、司法書士と相談のうえ、昭和三二年六月頃原告黒山ハナ子、城山ユキ、實山ツキの印鑑証明書、住民票等を集めたが、そのときは右登記の目的を果さなかつたこと、一方、原告タイも、相続財産に対する同原告自身の相続分を主張して、昭和三三年一月二六日福岡家庭裁判所に遺産分割の調停申立をしたが、被告が實山義男、城山ユキ、黒山実らを集め、同原告に取下げを迫つた結果、このときは、同年二月六日右申立を取下げたこと、また、原告荒山フユは、昭和三二年八月頃被告方を出て、一時、姉實山シカ方に身を寄せたのち、翌昭和三三年八月頃洋裁店を開いて独立し、その後、昭和三八年一一月二五日義兄實山義男の従兄弟訴外荒山定久と婚姻したこと、亡福岡永の相続財産は、別紙第一目録ないし第四目録記載の土地建物以外に、少くとも別紙第五目録記載の各土地があるところ(その登記簿上の権利移転の経緯は同目録記載のとおり)、被告は、未だ亡福岡永の登記名義になつていなかつた別紙第五目録記載番号6の山林につき、旧売主に追加金を支払つて登記名義の移転をうける必要が生じたのを契機に、昭和三九年五月二七日別紙第一目録記載の土地(同第五目録記載番号3ないし5の各土地も同じ)に主文一項掲記の相続登記、別紙第四目録記載の建物に同じく保存登記をしたこと、そして、更に、その後、権利証が出て来たことから、昭和四五年四月二七日別紙第二、第三目録記載の土地(同第五目録記載番号1、2の各土地も同じ)に主文一項掲記の相続登記をしたこと、被告は、右各登記後、昭和四七年五月頃、別紙第五目録記載番号4、5の山林(持分権)を処分して得た二、〇〇〇万円前後の売得金から、原告らを含む相続人全員に一人当り二〇万円ずつ分け与えたこと、原告タイは、福岡永の死亡後も被告夫婦らと同居していたが、被告夫婦らとの折合いが悪く、昭和四二、三年頃の二月頃、被告ともみ合つて右手を骨折したことがあり、昭和四八年頃、被告が旧家屋の近くに新築して家族と共に転居したのち、一人で旧家屋に残り、その後、被告が附近に建てた貸家の一軒に転居し、一人暮しを続けたこと、原告タイは、昭和四八年頃被告夫婦らと別居するようになつて以降、被告から月々一万五、〇〇〇円の生活費をうけ、それと年金等で生活していたが、被害妄想、ノイローゼ状態に陥り、一人暮しが危険になつたため、原告荒山フユ、城山ユキ、被告らの話合いにより、昭和五三年五月から昭和五四年一二月頃まで福岡市内の病院に入院したこと、右入院の頃、被告の収入の関係で原告タイの年金が停止されたところ、被告は、同原告の入院後間もなく、前記月額一万五、〇〇〇円の生活費を支給しないようになつたこと、そして昭和五四年九月頃、原告荒山フユらが中心となつて福岡家庭裁判所に被告を相手方とする原告タイの扶養を求める調停申立がなされ、その際、被告に負担すべき生活費の増額が提案されたが被告が応諾せず、結局不調に終つたこと、原告タイは、昭和五四年一二月頃前記病院を退院後、原告荒山フユ方に身を寄せ、現在に至つていること、以上の各事実を認めることができる。

しかして、〈証拠〉によれば、被告がした昭和三九年五月二七日の相続等登記の申請書、添付書類等は、既に保存期間が満了し、関係登記所で廃棄されており、昭和四五年四月二七日の相続登記の際、申請書に添付された原告らを含む他の相続人らの「相続分なきことの証明書」等は、当時申請人である被告に還付されたことが認められるけれども、被告は右証明書等を紛失したと主張しておりいずれにしても、被告主張の右「相続分なきことの証明書」による贈与の事実を直接立証すべき証拠書類は提出されていない。

ところで、原告らを含む他の相続人らの右「相続分なきことの証明書」について、被告本人尋問の結果(第一回)では、「昭和三九年と昭和四五年の二回、いずれも三月の彼岸の日に、他の相続人らに登記の話をしたうえ、後日、各人から個別に右相続関係の証明書、印鑑証明書を貰つた。昭和三九年のときは、原告黒山ハナ子にそのための費用一、五〇〇円をやつた。實山ツキと原告荒山フユの書類は實山義男を通じて貰つた。」、証人城山ユキの証言では、「昭和三二年頃印鑑証明書等を被告に交付して、事実上相続を放棄している。昭和三九年か四〇年か年号は覚えていないが、一回だけ、被告にいわれて印鑑証明書付の印鑑を押したことがある。」、原告荒山フユ本人尋問の結果(第一回)では「一回だけ、昭和三九年の春頃、實山義男から、被告が山林を売るのに必要といわれ、實山には結婚までお世話になつていたので、印鑑登録をしたうえ、戸籍謄本、住民票、印鑑証明書、印鑑等を同人に預けたことがある。」、原告黒山ハナ子本人尋問の結果(第一回)では、「昭和三九年の春頃、被告から、山が売れたとかなんか言われて、三文判を渡され、その印鑑登録をしたうえ、戸籍謄本、住民票、印鑑証明書、印鑑等を被告に渡したことがある。それ以外にそのようなことはなかつた。」、原告タイ本人尋問の結果では、「昭和三九年三月頃、被告から判を貸してくれと言われたことがあり、私としては、先に思いやられることがあつたので、少し位は自分の物にしてくれと言つたが、被告から恐しい声が出たので、いいたい、と思つて判を貸したことがある。」証人實山義男の証言では、「判然と記憶しないが、昭和三九年五月頃妻實山ツキと原告荒山フユとの印鑑証明書等を被告のところに持つていたように思う。被告から相談をうけて、一緒に税理士の処に行き、遺産を兄弟の名前にしたうえ、序々に自分の名前にすれば、税金のために良い、と教えられていた。」というのであり、なお、昭和三九年一一月二一日(法務省)民事甲第三七四九号民事局長通達により、相続による権利移転等の登記申請書に添付された特別受益者の証明書等の原本還付を請求する場合謄本に代え、相続関係説明図を提出した場合には、便宜原本還付の取扱をしてもさしつかえない、とされたこと、及び、右特別受益者の証明書に添付すべき印鑑証明書が、細則二四条所定のものでないため、作成後三ケ月以上経過しているものでもさしつかえない、とされていたこと(不動産登記書式精義)は、いずれも当裁判所に顕著な事実である。

以上の次第であつて、前記認定した亡福岡永の相続財産、及び、原被告らを含む各相続人の状況、相続開始後の経緯等を考慮にいれ、右各証言、原被告ら双方各本人尋問の結果等を総合すると、原告黒山ハナ子は、相続開始後間もなく、遺産を被告に相続させる話合に異議を述べず、昭和三二年六月頃被告に印鑑証明書等を交付したことがあり、昭和三九年五月二七日被告が一回目の相続等登記をするに際し、再度、被告に印鑑証明書、住民票、印鑑等を交付することによつて、前記特別受益者の証明書を作成する権限を与えたもの、原告荒山フユも、被告の単独相続に積極的に賛同したことはないにせよ、右被告の一回目の相続等登記に際し、義兄實山義男に依頼されて、被告のため印鑑証明書、住民票、印鑑等を交付することにより、同様に右証明書を作成する権限を与えたもの、とそれぞれ認めるのが相当であ〈る。〉

しかし、原告タイについては、同原告は、かねて被告夫婦との折合がよくなかつたことから、亡福岡永の相続財産に自己の相続分を主張したことがあり、昭和三九年頃被告から詳しい説明のないまま印鑑の貸与を求められ、それに応じたときも、必ずしも全部を被告に委せる趣旨ではなかつたものと考えざるを得ず、その後の同原告の状況も前記認定のとおりであつて、被告本人尋問の結果(第一回)中、原告タイが被告の単独相続に異存なかつたとの部分はそのまま措信することができない。

また、原告タイは、二男福岡次郎の死亡により同人の持分権をも相続取得したことになるところ、被告が同原告から印鑑を借受けるに際し、この点を含め、遺産相続分の帰すうを説明した形跡は皆無であり、被告が昭和三二年六月頃の他の相続人らの印鑑証明書等を保存していながら、昭和三九年五月二七日及び昭和四五年四月二七日に各登記後、返還を受け、或いは受け得た筈の相続関係証明書類の謄本、或いは原本等を紛失した、というのもやや不自然の感を免れず、結局、被告は、右原告タイの印鑑を使用して、無権限で同原告名義の必要書類を作成し、右各登記手続を了したものと推認するのが相当であり、他に、この点に関する被告の主張を認めるに足る証拠は存しない。

してみると、原告黒山ハナ子、同荒山フユは、被告が昭和三九年五月二七日一回目の相続等登記をするに際し、被告に特別受益者の証明書作成の権限を与えることにより、それぞれ同原告らの持分権を贈与したものであり、同原告らの本訴請求はこの点で理由がないことになるが、原告タイは、被告の本件各登記全部の抹消登記手続を求めることはできないけれども、右各登記につき、現に登記名義を有する被告の持分割合を九分の五、自己の持分割合を九分の三(三分の一)、訴外亡福岡次郎の相続による主張と解せられる同訴外人の持分割合を九分一とする限度で、その更正登記手続を求めることができるというべきである。

次に、被告は、原告らの本訴請求が民法八八四条の相続回復請求であり、亡福岡永の死亡による相続開始後二〇年の昭和五二年一月一七日の経過によつて、同条所定の二〇年の消滅時効が完成しており、右時効を援用する旨主張するので、この点について判断するに、本件のように、共同相続人の一人によつて相続権を侵害された他の共同相続人が右侵害の排除を求める場合も、民法八八四条の相続回復請求たるを失わないことは、被告主張のとおりと解せられる。

しかし、本件の被告のように、相続財産に原告タイ、訴外亡福岡次郎の持分権があることを知り、その部分について被告の相続による持分があるものと信ぜられるべき合理的な事由がないのに無権限で同原告名義の特別受益者の証明書等を作成し、登記手続を了している場合は、もともと相続回復請求制度の適用が予定されている場合にあたらず、被告としては、同原告からの侵害排除の請求に対し、相続回復請求権の時効を援用してこれを拒み得ないと解せられるので(原告ら引用の判例参照)、右被告の主張は採用することができない。

よつて、原告らの本件請求は、原告タイが被告に対し、主文一項掲記の更正登記手続を求める限度で理由があるから、同原告の右請求部分を認容すべく、同原告のその余の請求及び原告黒山ハナ子、同荒山フユの請求をいずれも棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(田中貞和)

第一目録〜第五目録〈省略〉

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